作品名
「東京オリンピック」 ‘65年度作品
監督
市川 崑
出演
- アスリートの方々
あらすじ
1964年、アジア初のオリンピック競技大会及びパラリンピックが東京で開催された。
前日の雨が夢のように晴れ渡った10月10日の東京で、定員71,715名の国立競技場は超満員に溢れ、その中を参加94カ国の選手団7,060名が入場行進を行った。
かくして第18回近代オリンピアードは東京で開会され、15日間の熱戦が繰り広げられた。記憶に残る競技・選手を挙げれば、
・体操)遠藤選手
・重量挙げ)三宅選手
・柔道)猪熊選手 ⇒ 「YAWARA!」の祖父モデル
・女子バレー)東洋の魔女 ⇒ 回転レシーブ
・マラソン)アベベ選手、円谷選手、君原選手
が思い出される。
お勧めポイント
1964年東京オリンピックを記録した長編(170分)記録映画です。
1964年は日本が世界へ飛躍する大きな意味のある年でした。この年の5月2日、3日は鈴鹿サーキットで「第2回日本グランプリ」が開催されました。ここで「スカイライン伝説」が産まれ、多くの日本人が自動車業界へ進むきっかけになりました。そして10月10日「東京オリンピック」が開催し、ここから多くの日本のアスリートが続く布石になりました。当時流行った曲に「明日があるさ」坂本九さんが歌い、その後ウルフルズがカバーしました。
富士山の麓を走る聖火は壮大なものです。この風景は今でも撮れるのでしょうか?
開会式では2020年大会でも話題になったブルーインパルスによる五輪カラースモークの映像が登場します。また、平和のシンボル「鳩」が場内を飛び回る姿は、今は見ることができない壮大なものです。
長嶋選手と王選手も観戦している姿が一瞬登場します。とても若いです。
円谷選手のマラソン銅メダルは、限りなく銀メダルに近いものでした。円谷選手を歌った「一人の道」ピンクピクルスは、Youtube等で聞けますが、今聞いても涙がでます。裸足のマラソンランナー)アベベ選手も懐かしいです。吸水地点での映像を今見ると、各ランナーの人間味が溢れていて微笑ましいです。
2020年の東京オリンピックはコロナで1年延期されました。1964年の東京オリンピックは、1940年幻の東京開催返上に伴い、初めてアジアで開催される記念大会になりました。
多くの外国人が日本にやって来ました。背の高い外国の人を直接見る機会は初めての人が多く、その高さに驚いたものです。
今回も話題になったピストグラムは1964年で初採用され、この後、大阪万博でも広まりました。外国の人と会話が難しい日本で、世界の人とコミュニケーションをとる一番早い方法でした。
1964年大会の日本は、金16個、銀5個、銅8個の合計29個のメダルを取得し、国別メダル数は第3位でした。94カ国参加が2020年は205カ国になりました。今回のメダル獲得数は、皆さんもご存じのことと思います。
ポイント
笑える度 ★★
ファイト度 ☆☆☆☆☆
ほのぼの度 ★★★
スッキリ度 ☆☆☆
感動度 ★★★★


